ブログネタ募集したところ、今後の目標という声がいくつかあったので、
とりあえず今日はそれについて書こうかな(´・ω・`)

でも、具体的に目標を言うわけではありません。
や、言えるのは言うけど。

私は、あまり目標を人に言うのも好きじゃないし、努力を見せるのも好きじゃないんです(´・ω・`)

どんどんやりたいことは言っていけ、言っていけば叶うって言われるけど、やっぱり言わないほうががんばれるな、私は。

言うのは、同じような目標でがんばる仲間や、その目標に近づくためのなにかきっかけになるかもしれない人物、プラスの声をかけてくれる仲のいい友達、くらいです(´・ω・`)

あと、目標はたくさんあります、小さいものから大きいものまで。
今日の目標から数年後の目標まで。

でも、その目標の最終目的は何か、それは、自分で自分のことを好きになって、爽やかに幸せにしっかりと生きたい。それだけですね!

この前Twitterで、美しく散るために盛大に咲き乱れたいってことを書いたのね。
そしたら、結構、そんな寂しいこと言わないでって言われました。

え、寂しいことかな?

って私は思ったよ。

散る、というのもいろんな意味で捉えることができるけれども、

例えば「散る」=「死」だとする。
人は、今のところ誰でも死にます。

「死」について考えることは「生きる」ことについて考えることでもあるといいます。
よりよい「死」を考えることはよりよく「生きる」ために必要だと、思います。

例えば「散る」=「別れ」だとする。
人は、出逢えばいつか別れなければなりません。
別れ方はそれぞれ。いつの間にか会わなくなって忘れることもあるし、喧嘩して別れることもあるし、どんなに一生一緒にいても、最後死がある。まぁあちらの世界で会えるのかどうかはわからないからここでは別れとする。

でも、いつか別れるからこそ、今が大切なんじゃない?
いつまでもいると思ってるから、いなくなったときに後悔が残るんだと思うよ。
どんなに別れを意識していても、後悔は残るかもしれないけど。

例えば「散る」=「引退」だとする。
この業界は、残念ながら「引退」を飾ることができない方もたくさんいます。
散る、が「引退」だとするならば、美しい散り際を見てもらえるということは、かなり素晴らしいことです。
咲き乱れた花しか美しく散ることはできません。

例えば「散る」=「あるイベントごと」だとする。
私は綺麗なものが、あるいは大切にしていたものが、汚されたりボロボロにされたりするその切なさや儚さが好きです。私の目にはとても美しく映ります。
それは、綺麗であればあるほど、偉大であればあるほど、その落差は大きいから美しいと思います。

さて、これまで散るということについていろんな意味で書いてきましたが、ひとつ言えることは散ったから終わりじゃないということ。

散ったものは土に返って命は巡るし、桜で例えるならば、満開に咲き乱れることのできる力のある桜の木は、次の年もその次の年も咲き乱れることができます。
そして、葉桜も、枝のみのときも、けして美しくないわけではありません。

私は、そんな桜の木のような力を持ちたいと思っているんです。

ね、寂しくないでしょ?

重くなってしまったけど、
ここで言える目標をひとつだけ言います。

「ごめんね」じゃなくて「ありがとう」を癖にする。

です(*`・ω・*)ゞ

このエントリーをはてなブックマークに追加